2021.03.01
新型コロナウイルス感染症の感染拡大に歯止めをかける「切り札」と期待を集める、ワクチン接種を巡り、注射器不足問題が浮上しています。コロナワクチンの製造販売元であるファイザーが当初、「1瓶で5回分」としていたのを、容量を変えずに「1瓶6回分」としたことで、薬液を無駄なく使える特殊な注射器が必要となったためとされています。なぜ、国内で特殊な注射器が不足してしまったのでしょうか。
●突然1瓶5回分が6回分に変更
ファイザーは、これまでコロナワクチンを、1瓶5回分として開発してきましたが、年末にかけて特殊な注射器を使えば6回分可能と、政府に連絡してきたそうです。政府は昨年7月14日、テルモやニプロなど注射器メーカー6社の幹部を集め、ワクチン接種に向けて注射器の増産を要請。ワクチン接種に必要な量を確保していました。ただこの注射器はシリンジ内に薬液が少量残存してしまうため、1瓶から5回分しか取れないというのです。
そのため政府は、薬液がシリンジ内に残らない、特殊な注射器を持つニプロなどに増産要請しました。河野太郎ワクチン担当相は2月16日に会見を開き、特殊な注射器について、「確保できたのは4万人の先行接種のみ」で、それ以降の接種分については、確保のめどが立っていないことを認めています。
●テルモも筋注用注射器開発に着手
テルモは、薬液を無駄にしない特殊な注射器「FNシリンジ」を製品ラインナップしていますが、「皮下注射」を想定したため、注射針の長さが「13ミリ」で、「筋肉注射」が必要なファイザー製のワクチンでは使用できません。そこでテルモは、針の長い筋肉注射用の開発に着手しました。「一刻も早く国民がワクチン摂取できる環境を整えたい」との思いからです。ちなみに「FNシリンジ」の希望小売価格は1本あたり57円(税別)。新たな開発コストを考えると、ビジネス上のうまみがあるわけではなく、企業の社会的責任からの取り組みと言えそうです。増産要請に応じたニプロも、同じ考えでしょう。
●日本では皮下注射が主流で、ワクチン接種も積極的でない
国内で、ワクチンをはじめとする注射は、皮下注射が中心です。これは1970年代に社会問題化した、小児への筋肉注射による大腿四頭筋拘縮症が背景にあるとされています。一方海外では、生ワクチンを除く多くのワクチンが、筋肉注射で接種されており、こうした日本特有の事情も、今回の特殊注射器不足の背景のひとつと言えそうです。
医療への“安全信仰”が強い日本では、医療行為における「副反応」の発生を容認する素地が乏しく、ワクチン接種に関しても前向きでない国民性があります。そうしたことから、国内の製薬企業もワクチン開発に積極的ではなく、新型コロナウイルスが発生しても、開発力のある海外メーカーの製品に頼らなければならない状況が生まれているのです。皮下注射の原則や、安全信仰が根付く日本の風土を、今一度見詰め直す時期なのかもしれません。
●中福祉中負担路線は限界に近づく
さらに、少子高齢化の続く日本では、医療保険財政が厳しく、医療費抑制政策が続いております。医療機器についても革新的な製品に高い単価を付ける代わりに、ある程度普及した技術で作られる基礎的な製品の価格を安くすることで、ひっ迫する財政を何とか保っているのです。技術力のある企業は、革新的な製品開発を優先し、今回の注射器のような基礎的な製品に、経営のリソースを割きづらい状況が生まれています。
日本の社会保障政策は中福祉中負担といわれますが、かなり限界に近付いているように見えます。政府もようやく75歳以上の高齢者の2割負担の導入を決めましたが、議論のスピードが遅いと言わざるを得ません。また国民も、安心を得るためにはお金がかかることを理解しなければなりません。今回の注射器不足問題を受けて、基礎的な医療機器の安定供給や備蓄、医療保険で使われる製品の価格をどう考えるか、国全体で考える時期に差し掛かったと言えるのではないでしょうか。
【MEジャーナル 半田 良太】